雲と光

将来なりたい自分、やりたいこと

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最近色々な方から相談を受ける機会が増えている。俺ごときが人の相談に答えるなんてものすごくおこがましいと思う。俺はまだ何もやり遂げていないからだ。それでも、挑戦しようとする俺を見て、俺の考えや生き方に触れて、その方が自分の夢や人生を考えるきっかけになったのであれば、それはすごく嬉しいことだと思う。

相談を受けるうちに、俺は自分自身が将来どのような人物になりたいのか考える機会が増えた。会社の代表としてではなく、俺自身どういう人物になりたいのか。
俺は、10年後、20年後の日本人にとって、1つの目標とされるような人物になりたい。俺の夢、理念、生き方が、次の世代の人たちにとって新たな選択肢としてもらえるようになりたい。リスクが高く、多くの失敗や挫折を経験するとしても、それでも成し遂げたい志を持つ、そんな挑戦者たちを生み出し続ける挑戦者となりたい。

今日本は満たされすぎている。大して頑張らなくても最低限の衣食住は手に入る。それはものすごく素晴らしいことだと思う。日本がこれほどまでに満たされているのは、かつて大勢の日本人たちが命をかけて築いてくれた賜物だと思う。かつての日本人たちは最低限の衣食住も満たされず、将来の自由も、恋愛の自由もないまま戦争で戦うしかなかった。かつての日本人たちは、次の世代、それが叶わなくてもその次の世代の日本人こそは衣食住が満たされ、将来の道を自分で決めることができ、戦争の恐怖など頭になく、好きな人と一緒にいることができる、そんな国を創りたかったのではないか。そんな国を残したかったのではないか。今の日本そのものじゃないか。すげーよあんたら。

日本人の平均寿命は戦後から何十年も増えている。それは、かつて10代20代で散っていくしかなかった日本人たちが俺達にくれた、時間という贈り物だと思う。時間を無駄にしてはいけない。世間からの評価や、プライドを削り合うだけの人間関係、醜い足の引っ張り合いに時間を浪費するのはやめて、自分のやりたいことを全力でやろう。

今俺たちはかつての日本人たちのおかげで、マズローでいうところの最高次の欲求である自己実現の欲求を満たすため、思う存分挑戦することができる。ただ、自己実現のために挑戦するのも素晴らしいが、個人的には「公」のために挑戦していきたい。
公とは個人を超えた、何か大きなもののことである。それは日本という国であったり、 世界そのものであったりする。人間は本能的に、公のためになることを原動力としたときに大きな力を持つようになり、最大級の幸福を感じ、人々はそのような人に惹きつけられる。

人生の幸福を決めるのは生きる時間の長さじゃない。達成感ですらない。達成を目指す過程で得るワクワク感だ。どうせ一瞬で消える命なら、 公の課題解決のために尽くし、胸を張って死んでいこう。きっと最高に楽しい人生になる。

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