今を生きる

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以前の記事「人生を楽に生きる方法」の中で、今幸福感を得られることに時間を使うべきである、と述べました。
これは、今幸福感を得られることに全力を尽くすことが人生を楽に、幸せに生きるための最も確実な方法であるという内容でした。

今回は、生物や時間的な視点から、今を生きることの大切さを考えてみたいと思います。

まず、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」に面白い記述があります。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
福岡 伸一
4061498916

この本によると、人間の細胞は1年もすれば全て入れ替わると言い、この状態のことを動的平衡と呼んでいます。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかしもとの水にあらず」という鴨長明の歌がありますが、これはまるで人そのものの状態を表しているように思えます。
身体は完全に別の人間であるにも関わらず、1年前の自分と今の自分が同一人物であるとどうして言えるのでしょうか?

この問いに対する答えの一つとして、人間の記憶があります。1年前の自分と今の自分は人間の記憶を通してつながっているため、同一人物であると認識できる、というのです。
では、記憶を失ってしまったら、記憶を失う以前の自分と今の自分は同一人物では無いのでしょうか?
そもそも、記憶などという曖昧なもので、本当につながっていると言えるのでしょうか?

さらに、私達が感じている時間もとても曖昧なものです。時間はさも川の流れのように上から下に連続的に流れているように感じますが、実際は断片的で順番もバラバラなのかもしれません。
それを観測することは、私達が時間を超越することができなければ不可能です。
したがって、私達は「今」しか観測できません。観測した「今」を規則正しい川の流れのようにつなげているのは我々人間であって、実際の時間がそうであるとは限らないのです。

このように、曖昧な身体を持ち曖昧な時間に生きる人間が、「今」以外に気を取られて「今」を疎かにするなど愚の骨頂です。
私達が考える将来とは、私達が「今」頭の中で考えている妄想であって、実際にそんな時間が来るとは限らないのです。

もちろん将来を考えずに今好き勝手に生きれば良いということではありませんが、「今」やりたいこと、果たしたい使命をまず第一に考え行動すべきであると思います。

最後に、私が最近読んだ小説である、白石一文著「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」の中に印象的な文章がありましたので紹介します。

この胸に深々と突き刺さる矢を抜け 上 (講談社文庫)
白石 一文
4062771152

「僕たちは自分が過去から未来へと連綿と生き長らえる何物かの一部だと感じた瞬間に自分自身を見失う。そして無責任で怠惰になる。…略…過去への未練や後悔、未来への憧憬や畏れ。ただ一度生まれ、わずかな時間で死に滅びてしまう僕たちは、この2つの甘い誘惑につい引っかかりそうになる。
本当の神だけがいまこうしてこの瞬間に存在し、僕たちを小さな声で励ましてくれているのだ。…略…今この瞬間に自らが欲することをなせ、と。あなたはいまここにしかいない。そのあなた自身があなたという必然の唯一の根拠なのだ、と。だから、たったいまあなたはなすべきことをなせ、と。」

「この胸に深々と突き刺さる時間という長く鋭い矢、偽りの神の名が刻まれた矢を今こそこの胸から引き抜かねばならない。その矢を抜くことで、僕たちは初めてこの胸に宿る真実の誇りを取り戻すことができるのだから。」

最後までお読みいただきありがとうございました。
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